姫路城

しげっちしげっち

黒い城 白い城 姫路城

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全国各地で観光名所になっている○○城。

みんなお城めぐりとか何かの観光のついでによるとか・・・まぁ色々だと思うけど、そんな何気なく見ているお城の色って気にしたことありますか??

ちなみにお城の外壁の色は「黒」か「白」になるんだけど、この色の違い・・・ただなんとなく色がついているんでなくてちゃんとした理由があるって知ってる??

 

 

白い城の代表といえば姫路城(別名:白鷺城)

 

例えば、平成5年の12月に日本で初めての世界文化遺産となった姫路にある「姫路城」。

姫路城といえば平成21年の秋に壁の塗り替えと屋根のふき直しを初めて完成したのが平成26年。なんと約5年間も大天守を閉鎖して工事を行っていた。なによりびくりするのがその総工費!!なんと24億円!!!

流石に相当な歳月と費用をかけたので当時と同じ「真っ白」で綺麗な城へと変身を。姫路城はその白さから天を舞う白鷺のように見えるところから別名「白鷺城」とも呼ばれているそうです。

 

 

 

白い城と黒い城には歴史的背景が・・・

 

 

そんな姫路城(白鷺城)が建設されたのは関ケ原の戦い(1600年)の翌年の1601年より建設を初めて8年後に完成している。その他にも名古屋城(1611年)や高知城(1603年)などがあります。

逆に城壁の黒い熊本城(1588年)、広島城(1591年)、岡山城(1597年)などは関ケ原の戦いより前(1600年以前)に建設されています!!

 

関ケ原の戦いより前のお城の城壁は「黒色」、関ケ原の戦いより後の城壁は「白色」となります。

 

 

 

なぜ関ケ原の戦いより前は黒い城で関ケ原の戦いより後の城は白いのか!?

 

 

まず一つ目の理由は、建築技術が向上したためと言われている。1600年以前は「防腐剤として柿渋と黒漆を外壁に使用していたので黒かった。逆に1600年以降は火災に強い石灰を使った技術が取り入れらてたので城壁は白かったそうです。

もう一つの理由は戦国時代だったかどうか。戦国時代は日中夜とわず「戦」が起こっていたのでお城はあまり目立たない方が都合がよかったので闇の中でひっそりとする為に「黒色」で建築されていました。

逆に戦国時代が終わって天下統一をした徳川家康の江戸時代になるとお城は「権力の象徴」だったので大きければ大きいほど都合がよかったのです。特に城壁が「白」だと夜になったときに戦国時代と逆の効果でお城が目立つし、より大きく見えます!!

 

 

 

白い城がもたらす効果とは!?

 

ちなみにこの色彩の効果は偶然になったものではなく、わざとそうしたのではないかと言われているそうです。というのが江戸時代から現在まで製造方法が変わっていない囲碁の「碁石」がその証拠になるそうです。

囲碁はみなさん知っての通り「黒の碁石」と「白の碁石」で陣地を取り合うゲームですが、白色が膨張色であるために、黒の碁石と同じ大きさで作ってしまうとぱっと見た目の効果で不平等が生まれてしまうので、白の碁石は黒の碁石よりわざとに少し小さめに作られています。

こんなことが江戸時代でも解明されていたとは・・・・気づいたは人すごい!!

 

みなさん今度からお城を見る時は城壁の色にも注目をして時代背景を想像してみるのも面白いかもしれませんよっ!!

 

 

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